京都・神楽岡 山の手倶楽部
お問い合わせ

何もしない”贅沢”がここ山の手倶楽部にはあります。

HOME
ご利用時のサーヴィス
業務内容
育成事業
プロフィール
お問い合わせ

育成事業

***************************************************

右手の画像は昭和49年2月初版。当時の「辻調理師学校・フランス料理研究室」が柴田

書店より発売された。表紙にはフランスはリヨンの南に位置するヴィエンヌの街にある

「ピラミッド」でサーヴィスを行なうムッシュ・ヴァンサン。

***************************************************


「対象者は・・」



飲食を中心とした接客業に従事する方が対象です。はじめて業務に就かれる新人の方や
すでに数カ月、数年間の業務を行いスキルアップを希望される方も対象になります。また独立開業を目指す方も対象です。

実のところ高級な飲食部門の接客スキルは異業種の接客分野でも大いに役に立ちます。特に対峙するお客様の動向や目的などに応じた接客術を学ぶ機会になります。



「何を体得、会得できるのでしょうか・・」



飲食ステージで働くための心構えからスタッフとの関係性、また皿の持ち方、カトラリーの扱い方、ワインの熟成管理の仕方、ワインの抜栓からサービスなどの技術的な項目に加えゲストと作り上げるメニュー作成、収支における考え方、企業風土と主観との摺り合わせ方などです。

独立開業を希望される方においては外部の意見も取り入れ共に進めて行きます。


      

  京都・神楽岡 山の手倶楽部 代表・おもてなし作家 / ソムリエ 柳 忠志


FBS(FOOD&BEVERAGE SERVICE)教室

***************************************************


右手の画像はフランスはレ・ボーの街にある「オストー・ド・ボーマニエール」の
シーズンメニューの表紙。

***************************************************

食卓のサーヴィスマンや独立開業を
目指す方が対象です


☆月2回程度の実技並びに講義を無償で受講できます。

☆FBS教室内での受講料並びに実習費は全て「山の手倶楽部・会員」の皆様方の援助で
 成り立っております。


授業に関して
        「希望者に合わせたプログラムをお作りします」



■個人指導が基本パターンです。

■座学、実技、実例相談の3クールが1日のスケジュールとなります。

■実習として「山の手倶楽部」でのサーヴィス及び調理(料理人)を行って頂きます。

■必要に応じて課外学習を行ないます。

******************************************************************

■授業の単位は120分から150分になります。

■授業日程は生徒の皆さんと相談して決定致します。

******注意事項********************

○最低でも月に一度の受講をお願いします。

○車での「山の手倶楽部」への出入りは出来ません。

○一般の授業は平服でお越し下さい。ただ、履物は動きやすいものをご準備下さい。

○授業では基本的に試飲・試食はありませんが必要に応じて行ないます。

○就業中の方の場合、サーヴィス現場(職場)を実際に拝見したいと思います。

 見学の許可をお願いします。

****************************************************************************

「ピラミッド」のソムリエ、ムッシュ・トマジ
                  柴田書店発行の「サーヴィスの演出」より」


****************************************************************************

 
2018 新連載 「これからの食卓サービスとは」
 

今年は現在進行中の食卓サービスを色々な角度から考えながら現実を淡々と書き記し、時に不平や不満を小さく爆発させながら、身勝手極まりない活字の羅列を続けてみたいと思います。

2018年1月17日

****************************************************************

no12 「自分の幸せ」 2018年 11月6日

ネットニュースを見ていると「仕事の出来る人」や「職場のお荷物」という扱いの記事が飛び込んできます。その記事に興味を抱き記事を読むと同じような記事がドンドン増えて行きます。

これはどのジャンルにおいても同じことが起こります。私はサッカーというスポーツが好きなのでスポーツ=サッカーといった状態になってしまいました。

ある意味、そのような現象も理解しつつ楽しんでいるのですが、テーマが仕事やお金になるとある意味その情報に振り廻される人が出てきてもおかしくありません。(私もその中の一人かも知れません)

この現象は一つの情報操作です。その根源はニュースや記事を出している方ではなく興味を持って受け取る方です。これらの記事や情報に大きく影響を受けると個人個人の判断が怪しくなってきます。

ただ、全てこれらの情報はビジネスのためです・・という前提ありきで考えると結論は変わってきます。しかし、情報は知らないと危険、知らないとつまらない人、となる事もあります。

何故、自分は駄目なのか。何故、自分は成功しているのか。知りたいような知りたくないような時代です。そして何をしている時が楽しいのか。辛いのか。

人から言われるよりも自分で納得しながら長いようで短い、短いようで長い人生を歩めるのが一番楽しく、明日死んでも悔いのない、そんな生き方を目指すのが幸せなのだと思います。

****************************************************************

no12 「もてなしを知ること」 2018年 9月27日

時代の影響もあり何をもって「善」とするかは時に変化や進化を遂げます。いわゆる「これが普通」「これが常識」という表現になる瞬間です。

京都は朝廷、公家、貴族、寺社仏閣というキーワードから茶道や華道、香道に代表される「しきたり」「作法」「ほんまもの」「良いもの」という言葉が恐らく古くから使われてきたのだと推測できます。

さらに言えばそのキーワードの周囲には欠かす事の出来ない文化として「料理」「菓子」「お庭」「器(焼物)(漆)」「呉服・衣装・履物まど一式」「書」「建具」「大工」など、まだまだ書ききれないほど沢山の「道」が今でも物質的に、あるいは心理的表現として成立しています。さらにその前段には材料や原料となる専門の「道」が通っています。

京都では食卓のお世話をする方を「配膳さん」と呼び、お迎えやお見送り、下足など多種多様なお仕事をされています。私も10年程前に取材をさせて頂いた経験があります。私の行っている西洋の食卓サービスと部分的に似通ったところはあるものの全く異なるシステムの上に成り立っています。

これらすべて専門の「道」を持ちながら、さらなる進化を求め時代に適応するようにアレンジを行い自立されている方もおいでになれば、伝統を重んじ注文が来るまでずっと待ち続けられる方もいらっしゃるといいます。

何故、このような話を持ち出したかと言うと「どの道」を歩いても、あるいは「どの職業」を志しても、やはりルールやマナーがあるということを申し上げたかったのです。

飲食店なら清潔感がなくてはいけません。直ぐにでも細かな汚れや不衛生な箇所を清掃すべきだと思います。それには色々な意味合いで危険が伴うからです。これが最低限のルールやマナーです。

ゲストが「ここは適度に汚くて落ち着く」という表現はいったい何を意味するのでしょうか。ある種「同じ道」の上を歩いている者として恥ずかしい思いをする時もあれば「違う道」と納得することもあります。

たとえ期待されない職業だとしても多少の努力が必要だと思います。私はプロとアマでは大きな差があると思っていますが、時にプロも一度や二度アマチュアに負けることがあるかも知れません。

ただ、その後、アマが続けてプロに勝つためには多くの時間や歳月、経験が必要になります。この時の経過こそがルールやマナーに触れている瞬間なのだと思います。

食べて飲むという行為にマナーや行儀作法を言われることを嫌う人は大勢おいでになる事は理解しています。しかし、それを知ることにより初めて「もてなされている自分」の存在に気付くことになると思います。

文頭で案内した多くのキーワードに関係する文化や芸術を愛でることは直ぐに理解することは不可能かも知れませんが少しずつ時間をかけながら醸成することにより、真の「美しさ」「豪華さ」「奥ゆかしさ」などの「もてなし」に触れることが出来るのではないかと思っています。

例えこれからの食卓サービスがロボットばかりになったとしても喜怒哀楽という感情を押し殺し、古くても手入れされた施設でゲストを見守ってくれる担当者に私はもてなしてもらいたいと考えています。


「追記」

ここ数年同じことを考えながら街の様子やお店の様子を見ています。
真新しいお店は綺麗ですがゲストの数に比例して摩耗し、さらに暫くすると汚れてきます。当たり前の現象です。

しかし、昨今、綺麗に整えられたお店には殆んどゲストは入っていません。勿論、閉店していないわけですから運営は出来ているのです。ただ残念ながら偶然通りがかると「ノー・ゲスト」の状態が数多く見受けられます。

むしろ題材にしていた「一応、掃除機はあてていますよ」程度で、調理で油汚れした壁や照明、備品など、いつ掃除したか記憶にないようなお店が人を集めています。価格の事も関係するのだと思います、味の事もあるでしょう、しかし、これはどういう現象なのでしょうか。

何年か前にコンサルタントとしてお手伝いをした重役さんの言葉を思い出します。「食事に行くのに気合や頑張らないといけないお店はもう行きたくない」とおっしゃっていました。歳の頃は60歳前後だったと思います。それでもその方はお店選びが大好きで、自らも運営されていました。

とにかく気さくで肩肘はらない、○○なお店が良いようです。


****************************************************************

no11 「誰のために席を用意しているのか」 2018年 8月22日

お店を開業する前にターゲットの絞り込みを行うことは必須です。それは年齢層や所得層、職業層など色々な項目を決めておかないと造作や店舗デザインが出来ないからです。

勿論、提供する商品の質も同様です。ターゲットの存在が無いと何も始まりません。加えて対応するスタッフの技量や構成も大切になります。

そこでミスマッチがいくつか出来てしまうと沢山の障害が立ちはだかります。今、この文章を書いている途中にでも思い当たる節があります。

それでは、その障害を克服するためには何が必要なのでしょうか。

そこにも時代というスパイスが隠されています。自分たちが扱っている商品が時代を超越して今後も残り続ける可能性があるのかどうかです。その判断は簡単ではありません。

また今後は材料に関しての意識も必要です。自給自足で飲食施設を運営することは憧れですが何でも自前で行えるほど甘い話ではありません。しかし限りなく環境を整える必要は否めません。仕事を行う上でのライフライン、言わばビジネスライン(上下水道光熱)も同様です。

話を元に戻すとターゲット変更も一つの選択です。当初のターゲットは時間と共に風化し始めます。それなら時代に合ったターゲットに狙いを変え、今ある価値を共有してもらえる方に利用して頂く方が良い飲食施設運営が行えるのではないでしょうか。

改めて足元を見つめ新しい価値を生み出したい、それが施設を管理する者の最大の仕事なのかも知れません。

****************************************************************

no10 「祭り」 2018年 7月19日

今月一日から京都では祇園祭りが始まっています。10歳までは色々な意味で祇園祭りの興奮を肌で感じていました。でも今では遠くの祭りのように静かな環境に身をおいています。

ブラタモリで言うところの「奥東山」でありその断層の上に立つ神楽岡は都で行われる政ごとに背を向け文化・芸術など異なる価値観を醸成した土地柄だったという解釈が行われていました。

司馬遼太郎の小説にも時に「紅葉庵」という名称で神楽岡を別荘地と見立て描かれる箇所があります。何とも静かな土地柄で祭りの活気漲るエネルギーを全く感じさせません。
ただ、それと真逆の洗練された情緒のようなものを感じるのは確かです。ここにも異なる意味での町衆のプライドを強く感じます。

しかし、この界隈の飲食店における基準は複雑です。まずは学生中心の飲食消費から始まり、少し離れた場所からわざわざ訪ねて来られる大人の消費市場まで大きく二層に分かれているような気もします。さらに高級店や名門店と呼ばれるお店が存在する中で個人のお店が多く存在しています。

そして百万遍に行けばチェーン展開している飲食企業の存在が目立ちます。兎にも角にも豊かな市場とはいえない環境の中で沢山のお店が出店し約1年から2年で移転を繰り返しているのは恐ろしく厳しい環境と言わざるをえません。

私も以前に同じことを考えた一人として今出川通りに出店しました。この出店したくなる理由には大通りに面していることがあげられます。次いで「散策」というキーワードがあげられ、文化、芸術を感じさせる立地というのが何とも言えない「魅力」なのです。これは「哲学の道」周辺も同じような環境といえます。

その雰囲気の良さに何故か「成功のイメージ」という間違った解釈が頭に描かれ、心の中に住み着くのです。

しかし残念ながらここでは大きな「祭り」の舞台になることは在りません。それでいて小さな「祭り」なのか・・と言えば少し違う感もあります。この周辺は商いベースだけで物事を判断しがたい立地といえます。

むしろ10年以上の年月が経過して思うことは住宅地ではあるものの教養の豊かさを何となく感じさせる気がします。ある意味、私のような者には足りないことばかりのようです。

「祭り」は華やかさや迫力だけではありません。洗練されている「祭り」とは見る人が見るとワクワクする材料や話題が組み込まれています。しかし、食べて飲むという飲食行為は時代と共に大きく様変わりしています。

決してすべてを否定することもなく肯定することもない、身近な価値観が凝縮されています。「食事をする」という行為は各家庭から始まり、友人、知人、同僚も含め全く異なるスタイルがあるのは当然です。各家庭・各人の「食スタイル」が細分化していることを職業人は知る必要があるのです。

****************************************************************

no9 「ゲスト(会員)と創りだす食卓ロマン」 2018年 7月7日

「山の手倶楽部」は会員制倶楽部として入会金、年会費、利用料の一部を施設の管理や運営費に充当し、さらに業界の人材育成を無償で行えるように努力しています。

会員の皆様からのご紹介で新たにお会いした方の中には、新しい価値観を「山の手倶楽部」で見出して下さる方もあり、施設や食卓を通じてお仕えする私にとっては大きな刺激を感じます。

しかし、一般の店舗とは異なるためご利用頂く皆さまとの相性が必要になる事もあります。今、思えばローカルなサービスがお好きな方や合理的過ぎる方には「山の手倶楽部」のご利用は難しいのかも知れません。

実はこの「ローカルサービス」という表現に対して定義付けが必要になるのですが説明しにくいのも事実です。これは利用料と時間、そして各人の楽しみ方という事になり私が見てきた著名なゲスト達の振舞いといえるものです。

そこには一定の優雅さと飲んで食べるという過ごし方の中に楽しさの発見というのが含まれています。すでに時代は日々の時間との闘いであり、常に新しい刺激を求めておられることは言うまでもありませんが、その方々達が必ず持ち合わせておられるのは偶然ではなく後天的に学び体得された嗜好ではないかと思っています。

ある一定の目的のためにご利用頂く場合もあるのですが、その立ち振いや周囲に対する配慮は優雅そのもので大きな特徴だと思わざるを得ません。

私のキャリアの中で大きな刺激を受けたシーンの一つにホテル時代の「プール食堂」があります。70年代後半から80年代初め、ちょうど夏休みに入る前の期間を利用する外国人客や日本人客の存在です。むしろこの優雅さは当時のホテル利用客の中では群を抜いていた存在でした。

もう一つはフランス・プロヴァンスでの修業時代の光景です。働くスタッフのプライドとゲストから大切にされるホテル・レストランの存在です。さらに印象的だったのはマナーやルールにおける厳しさです。

もう25年以上も昔の話ですが今でも憧れのゲスト達であり、愛される施設のために最適な運営方法を踏襲したいのです。そのための努力は惜しんではいけないと何度も思い起こす今日この頃です。

****************************************************************

no8 「真似できない小さな集団」 2018年 5月28日

今に始まった話ではありませんが近頃の飲食店や小売店はアルバイトさんが接客の主力といえます。宴会や催事と言うのであれば理解も出来ますが、今では専門店と言える食卓でもアルバイトさんの存在なくして運営できない状況のようです。

その現実と平行して中高年になったサービスのプロやベテランと呼ばれる経験豊富な人材は退職してもらえるような環境を与えられ、客席からその姿を消しているような気がします。何とも切なく寂しい現実を目の当たりにするとAIロボットの導入よりも先に、想像し、あるいは予測し動く人の存在がなくなるのだという危機感がよぎります。

経験豊富な料理人も同じことが言えます。たしかに年長者は使いにくい存在と言えるかも知れませんが、予想していたよりも早い速度で現実を迎えているようです。

時代はお金の情報が価値観に大きな影響を与え、生活環境を一変させます。外食と呼ばれる飲食店は、デパート、スーパー、コンビニの変革と共に利用しにくい場所となり、飲食関連のお店で人を雇うことが難しくなる時代が訪れているようにも見えます。

大手の「外食・中食企業」が街のお店や商店街を飲み込んで行き、中小は人など雇えないという事情もあるでしょう。それには労働者に対する法令も関係しています。まさに「弱肉強食」です。

ただ外食企業も簡単には正規社員を雇用しようとは思っていません。そこに企画・経営側と運営・管理側では大きなギャップが生まれてくるからです。これは互いにストレスを伴い我慢だけが残る構図を生み出します。ですからアルバイトさんにお願いするという考え方が出てくるのです。

自らが動力として走っている間(運営側)は大きなストレスにならずとも管理者としての地位を与えられた瞬間にドライな決済だけでなく平気で嘘がつけなくては仕事にはならないのでしょう。そこに多種多様な解釈で自分を誤魔化すことになります。

わかりやすい言い訳や自分を納得させられる呪文は「世のため、人のため、会社のため」となります。そして誰かが悪役になり部下や同僚が少しずつ逃げていくという構図と結末を迎えます。

例えば大手企業が無料で何かをプレゼントし集客するとします。これには経済的な体力が物を言います。また、異なる目的でイベント化し異なる利益を生み出す共産行為も同じです。これも発信力の強い大手がすでに実行しています。

これらの情報が満ち溢れている時代の中で飲食業は今後どのようなスタイルが理想なのでしょうか。それはあくまでも自分たちの商品(サービス、料理、施設)を見失うことがあってはならないという姿勢です。

それでは小企業や零細企業に残されたロードマップは何なのでしょうか。やはり「職人集団」の存在です。ある意味、苦労の連続ですが長年の経験値と知恵と工夫です。それが集団になれば真似のできない時空を提供できるような気がします。ただ評価されるにはかなりの年月が必要になるかも知れません。

私は多くの人が職人に憧れ挫折しているのではないかと思っています。それも「生産性」という一言で機械に例えられるようになったからです。

職人と呼ばれる人材は一応にして変化を嫌いますが実は進化や成長を求めています。私もその分野の職人に成りたいと願う者の一人です。

多くの方は気付かれてはいませんが意外なことに味や技術やスタイルは継承されていきます。実のところ一定の期間を修行されたことのある人はどこの門下生なのか仕事を見ればすぐにわかるものなのです。


****************************************************************


no8 「爆発する愛情の行方」 2018年5月4日

昔は恐ろしいまでに高圧的で興奮されるゲストを一年の間に何度か見ることがありました。しかし当時の私には何を怒っているのか全くわかりませんでした。(そんなに腹が立つことですか・・と)

それでも大騒ぎする人が大勢いたかというと1%にも満たず誰もが警戒する対象となり現在の表現ではモンスターと呼べるものだったのかも知れません。

ただ、可笑しなもので一人が激高し怒り出してしまうと同じ思いのモンスターは同調することはなく我慢するというのが当時の風潮でした。

今でも大声で怒っているゲストはいるようですが私は見たことがありません。恐らく時代がフラットになり、また合理的になり一つの店舗形態にも様々な方が日常・非日常区別なく利用することが一つの原因ではないかと思います。

お店の環境や商品によってモンスターは現れます。テレビ番組でも再現映像として目にすることがあるくらいですから多くの人が実際に体験しているのだと思います。ただ、私の話とは少し違うような気がするのです。

飲食の場合は基本的にゲストから何もコメントがないというのはサービスと料理に対して「期待されていない」からで同時に怒られないというのも事実です。食べて飲める「場所」という位置付けです。まあ、見方によっては「馬鹿にされている」という事も言えます。

そのお店に行くことを、あるいはそのメニューを食べることを楽しみにしている場合、駄目だった時の怒りは天よりも高くなり雷を落としたくなる気持ちは何となくわかります。(最近、この「天よりも高い〜」というフレーズが気にいっています)

その怒りは昭和世代の「プロフェッショナル」という言葉に由来しているのではないかと思うのです。

戦中派の人の多くは若者に「頑張れ」「挫けるな」という根性論も含め期待をし、その表れが雷となり怒鳴っていたのかと思うと少し懐かしく、そして有難いような気がします。

今の世の中では体罰やパワハラが社会問題となり世間を騒がせていますが、ここで取り上げている視点は似ているようで違う感覚のものです。

このように期待することで爆発や怒り、雷というキーワードを飲食の業界に向けてみると自分の使っているホテルやお店を応援するという名目も含め昔のゲストは「愛情」を持って接してくれていたような気がします。自分がお気に入りのお店やホテルを応援したい、あるいはもっと素晴らしい環境を整えて欲しい・・という願いや思いです。(事実はわかりませんが)

感情のない関係は例え顧客と従業員(運営側)との関係であったとしても水のようにさらりとした人間関係となり何も無ければ心地良く共に笑顔のままでいられます。

もし何か問題が起こると誰も寄り付くこともなく無味乾燥し蒸発した状態で消滅するという事になるのでしょう。

さらに話を進めると感情的にベタベタした関係は暑苦しくなり疲れます。そしてお互いが距離を置くことになります。常に程よい距離間で、そして色々な接し方(愛し方)、接され方(愛された方)が一番良いのかも知れません。これらの表現を20年ほど前に日経レストランの著者の一人が「愛顧客」と表現していました。

「なるほど」と思いながら苦しくない距離間が人と人を結びつける上で一番恒久的で良い関係なのだと思う節がある一方で熱く押されることが一時的に良い状況を生み出す事もあります。

これは一時的に見え過ぎる営業手法ですが時に効果的であり物販や金融商品のように継続性をもたらすものもあります。飲食業なら宴会など大口予約でしょう。

話を戻すと誰も大声で雷を落とされたい人などいませんが大切に思って下さった方には本当の意味での感謝をする時がいつか来るのだと思います。怒られる方も辛いですが怒る方は周囲からの批判をもろともせずもっと嫌な思いをしながら発言します。

これらの長い年月で培ってきた関係こそが「顧客」と呼べる存在なのだと思います。片方だけの利益追求はもはや恐喝です。太い糸でなくても細くても切れない長い糸を持ち合いたいと思って独立しました。

今後も来る顧客との新しい関係、新しい時代の幕開けになればこれほどやりがいのある仕事はないのだと思います。


****************************************************************


no7 「つまらない嘘」 2018年4月18日

今まではバレなかった、あるいは押し潰されてきた、そして今までは完全に隠し通せた「嘘」が、世間を何度となく騒がせています。この「嘘」は近代では昔よりも簡単に暴くことが出来るようになったのでしょう。これも教育や育成の成せる技だと私は思うのです。

解釈の違いはあったとしても。どの業種に属していたとしても、そしてどんなに偉い人でも今の時代、嘘をつくことがとても難しいのに剛力でやってしまっている人がいるのが現実です。

時にボイスレコーダーは身近な道具になり、防犯カメラは四六時中多くの出来事を監視しています。悪意があれば陥れることは簡単です。その時代をこれから我々は生きて行かなければならないのです。

そうなると今まで不必要だった経費が嘘や不正、犯罪を防ぐために実際の業務とは関係のないところで発生し膨らんで行きます。表向き安全で便利なシステムは継続的な経費が必要になるため、その分を新たに稼ぎ出さないといけなくなります。

正直で真面目な人材の登場は不景気から、あるいは貧しさから生まれてきます。逆に好景気から権力を得て俗に言われる富裕層であるという自覚のある人の多くから信用・信頼できない人が生み出されます。

これは実に遥か遠い昔から行われてきた現実です。何も不思議なことではありません。足元ばかり見ていては腰が曲がり視線より上の周囲など見えません。逆に自分の視界よりも遠くばかりを見ようとすると、あるいは見ていると身の回りの事に気付きません。

だから時に嘘が必要になり、その嘘をより真実に見せるために嘘をつきます。一つの嘘にも知力と体力、そして時間が必要になるのです。

其れよりも本当に煩わしいのは 「誤解」 という複雑な解釈なのです。

****************************************************************


no7 「釘付けにされる他者の表現」 2018年4月18日

今やテレビやラジオ、そして新聞・雑誌に至るまでネット環境が整っていれば、閲覧し、あらゆる情報を紐解くことが出来ます。さらに言えば個人の意見をSNSで拡散させ、反響があれば即座にニュースになり感情的な場面にも出くわすようです。

そんなこんなで色々な人の意見や現実的にあった事実が映像として写し出されるわけですから興味をそそるシーンをモニターの前で時を忘れて見てしまうことは少し理解できます。

その理由は、これらは仮想の世界ではなく現実にあった映像や話を時に大小様々な誤解や虚偽も含め、垂れ流しになるという恐ろしさの中に存在しているからです。そして、小さな画面を通じて伝えられることの多くは一人の意見や現実という意味合いのものだけではなく共感を得て大きな波をうねらせています。

その中で大きな商機を得る者、逆にバッシングを受ける者など予測不可能な主役や脇役、さらに言えばネット上で逮捕を宣告されるようなことも知らないところでは行われているのかも知れません。

個人の持つ時間の有無により閲覧時間は異なりますが、これも一つの 「蟻地獄」 のような気もするのです。


****************************************************************


no6 「貴重な若者人材」 2018年3月25日

「何となく規制やルール、そして世論が厳しくなってきた」この時代でも幼児と学生、成人と老人など見ため年齢だけで区別することは容易です。しかし実年齢だけで判断できない体力や知力など一般論とは懸け離れた存在の方もおいでになるのも事実です。

幼児や学生も身体のサイズを除けば私のような「初老人間」の知力や体力をはるかに越える人は沢山いることでしょう。ただ、この文章の中でいう若者の存在とは「世間ずれしていないピュアーな若者」を指します。

出来れば悪賢い大人の側面を見ていない若者が有難いと思うのです。そういった人材がプロの集団ではなく一般的な小さな店舗やホテルで働くことによりゲストに喜ばれる例は星の数ほど存在します。

そこにはプロ意識など一切存在しません。ゲストの前に出て何をすれば良いか、何かリクエストがあればとにかく動くという良質のサービス精神を持ち合わせた素人っぽい人材が必要なのです。さらに言えばゲストが来店するたびに少しずつ成長する姿が見えれば最高です。

若者の存在はお店から顧客に対する一つのサービスとも考えられます。それだけ若者の存在はゲストの目からすると重要な要素になるのです。

昨今話題になっているロボット化(AI化)は私が思うに「諦めの境地」の一つだという結論を持っています。

これはあくまでも人間、いや若者の代用品ではないかという発想です。操作さえ間違いなければ一定のクオリティでリクエストに応えてくれるのがロボットです。

人は過ちや誤解をします。いわゆる失敗です。不完全だから生き物としての人間が存在します。そして感情があるから良いことも悪いことも行ってしまうのです。

面白い事にその感情は時々に記憶から忘れ去られるため誤った行動や発言がコロコロ変わるのです。

若者は恐らく人生の中で一番感情的であり一番優秀な時期ではないかと考えることがあります。いつしかの流行りの言葉を使えば「伸びしろ」です。

何事においてもはじめから完成されていると修正しにくい面が出てきます。むしろ出来ない方が良かったりします。

飲食現場でのはじまりは笑顔と声色です。今の言葉を借りれば「感情労働」の最たるものだと思います。少し違和感がありますが「笑顔」を作るトレーニングも就職活動の前に必ず行います。

しかし、現実問題として客席に立つ接客者が作る笑顔はマニュアルでしかありません。この事務的な笑顔は貴重な若者の存在とは少しニュアンスが異なります。

そこでの接客は商品を売りつけるためのもので、この若者に任せたいという笑顔ではないからです。貴重な若者の存在とは希望そのものなのです。


****************************************************************


no6 「酒販免許事情」 2018年3月8日

今、酒販免許取得が静かなブームになっています。いったい誰が必要としているかと言うとコンビニ・オーナーや異業種の大手企業、不動産所有者などのようです。そこに飲食店が参入しはじめているというのです。

すでに司法書士事務所などのネット広告などで提出書類を一手に集めアドヴァイスを行うというものが大きく見出しを付けてネット上で掲載されています。

私の友人で飲食店の経営者が昨年「酒類小売販売免許」をとったという話も出てきました。理由は空いている不動産があるので始めたそうです。これは一例で他にも複数の飲食店関連の事業者が免許を取得していました。

そこで何を販売するかと言えばワインとなるそうです。他の酒類に関しては色気が無く、ボトルの封を開けずに酒を販売することができるのが魅力だそうです。

お店でお客さんを待つ身とすれば能動的に商品を販売できることは確かに魅力ですが新たな挑戦です。その話を聞きながら「すぐに行動できる彼は凄いな」と個人的に思ったのです。

ただ待っていてもお客様は現れないのであれば少しでも魅力的な顧客拡大の市場に出向いて行くことは大切なことなのでしょう。お店で酒屋の値段で消費することが出来れば嬉しいものです。またお店でしか食べられない美味しい料理が楽しめるのであれば尚更です。

これは「どういうことでしょうね」と昔から思っていたのが酒屋さんは栓を開けてお店の中でお酒を飲むことが出来るのに飲食店では栓をしたまま販売してはいけないのは何故なのかという疑問です。

恐らくお金にまつわる正当な理由があるのだと思いますが衛生上は如何なものでしょうか。このような事を考えていると商売における正義とは法律が全てという事になり、事件や事故が起こるとさらに厳しくなり白か黒かのオセロゲームとなります。

白は恐らく健全なイメージで正義なのですがどこまでいっても一定の価格は維持する必要があります。逆に白いから高いというのは論外のように聞こえますが正直に物事を進めると高くなるのも事実です。

実のところワインの価格における高低は瓶熟成管理にあります。

価格の安い黒は一般的に営業努力のように思われますが、それなりの管理という事を念頭に購入を決めなければなりません。

私が思うに基本的にワインは手元においてからが始まりです。そこからどのような味に進化してくれるのか、進化させるか、あるいはどれくらい待つのか、そして最後にどのようにして提供するのか、これが取り扱い者の腕の見せ所です。

同じエチケットが貼られていても中身は同じとは限らないのです。

これからの食卓サービスの進化系は価格を図り知ることが出来ない料理がさらに前面に押し出されるように考えられます。さらに多種多様な味や量そして好みやアレルギーに対応するべく存在になる必要性にも迫られます。恐らく今までの調理過程や材料調達ではどうにもならないような時代が到来するかも知れません。

そして酒類をはじめとした飲料はある程度の統一(小売価格基準)がされ、生産者やメーカー以外の店舗は苦労の伴う商品へと向かって行きます。価値が下がる可能性もあります。お店では売価の設定はむしろ許されません。

消費者はそれくらい価格に敏感であり自分で何でも行うスタイルに進化しているように見えます。すでに自分で動ける間は「サービス不要」という人も多く金品を提供してまで必要とされるプロのサービス人材はさらに価値が落ちてきている観は拭えません。

今回の酒販店化とコンビニのオツマミメニュー、そして単身者を中心とした社会構造が従来型の多くの飲食店を潰して行くのはある程度予想は出来ます。

そして、さらなる進化は「要支援、要介護施設」での飲食の提供とサービスが今後の課題となり花形になる事も考えられるのです。

****************************************************************


no5 「壮年味覚」 2018年2月19日

「伝統や文化、さらに名物料理といった商品に胡坐をかいていると観光客だのみの営業になり、いつか振り向いてはくれなくなる」これは一つの見方だと思います。

以前にも書きましたが、都会と地方には大きな隔たりがあるようです。都会にはビジネスで訪れる外国人が多く、地方とは比べものにはなりません。ここでも思考の違いや体験が異なる職業人を生んでいます。

私が思うに地方には都会の真似事は出来ません。地域や地方ではその土地に根付いた特有の倫理が働くからです。都会では時に変化が大きく刺激的で人は常識人になろうと知らず知らずのうちに規格化されて行きます。

これは全体の流れなので割合となり「時代についていく、流れに身を任せる」側の人と一般的に「変われない」「変わらない」側の人に分かれ比率的に前者が上回ると考えても不思議ではないと思うのです。

刺激的な街だからこそ人を集めるパワーがあります。「何か良い事があるのではないか」「何かチャンスがあるのではないか」と。人の集まるところは新陳代謝が活発です。

そして都会では常に「学ばないといけない」「馬鹿にされたくない」とう意識が芽生え続け個人的にも経済の裏付けをもち洗練されて行きます。これが規格化です。

これは保守的な地方と破壊的なエネルギーを持つ都会との差と言えます。この都会のエネルギーが一時的に高級店を支え大きな富を生み出します。

規格化された中には仕事をする外国人の存在が文化・習慣の違いを堂々と表現し斬新さを増します。また地方から都会に訪れたビジネスマン達がわずかな時間をやりくりし話題のホテルやレストランに足を運ぶのです。

しかし「食のステージ」では地方も負けてはいません。それはその地方や地域を代表する老舗の存在があるからです。

まさに京都や奈良では歴史的なバックボーンが食と同じように配置されています。勿論、各地方にも名物や歴史が点在する魅力は沢山あり、まだ表現されていないだけで存在しています。ここで着目するポイントはインフラ整備です。行きたくても宿がない。道がない。駅がないからです。

この苦労をいとわないのがミシュランのガイド本です。勿論、時代も異なりますが食や空間というものは労を惜しまず訪れることにあります。

例えばフランス人だけではありませんが面白いことを言う人がいます。「高級店や老舗には地元の人間は行かない。あれは観光客の行くところ」と言いきります。

フランスは美食の国と言われますが各人一言もっているようです。そして生き方、考え方など多くの部分で自立しているように見えます。ですから意見も様々です。

ある意味、欧米の人たちは日本人と比較すると部分的にとても成熟しています。勿論、多くのことを学び成熟した日本人も沢山います。

ただ、ここで申し上げたいのは「食」に対する考え方や「価格」に対する考え方が大きく二極化しているということです。そこにはすでに「憧れ」などないという現実です。

ある雑誌の見出しにあるように「もはや二極化ではなく階級制度だ!」というのもまんざら嘘ではなさそうです。

いや日本人はすでに長い不況の中で可能性という文字を抹殺している人が多いように思います。そして次に来る災難に備えようと不安が増しているようにも見受けらます。

勿論、私もその中の一人かも知れません。最近、時に小さな頃のことを思い出し、今よりもエネルギーに満ちていた時のことを思い出します。そこで「あれは美味しかったな」と思い出し食べてみると残念な結果に終わることも少なくないのです。

味は、いや味覚は進化します。それは思い出や記憶を一掃するくらい進化を続けています。この文章を読んで「それは老化だ」と言う人がいるかも知れませんが違います。そこには今まで発見することが出来なかった味を見つけ出す味覚を得ているからです。

ひょっとすると老舗の味や古くからある観光地の店は「味覚の終着点」かも知れないと思うのです。今まで振り向くことさえなかった料理や店が自分の中で大きくクローズアップされている今があるからです。

昔ワインの勉強しているときに味覚に関する先生がわかりやすい表現を使っていました。しかし、それには幼児味覚と大人味覚の2種類しか答えはありませんでした。でも本当はまだあったのです。そう 「壮年味覚」 というものが・・。

皆さんも感じられたことは在りませんか"

****************************************************************


no3 「値打ち」 2018年2月10日

人によって値段の安い高いは異なります。例えば鰻丼を例にとると700円ほどで食べられるお店と3000円のお店があるとすれば後者は高額なお店となります。しかし、市場がすでに与えた商品に対しての価格認識が3000円であるとすれば700円は安くてお値打ち品だと考えることが出来ます。

商品の価格には施設の管理や働く人の存在、そして安全衛生と言うものが付随していると思っています。しかし、それも時代の変化、価値観の変化により変わってきます。一番に人の心を変えるのは経済です。

さらにダイレクトな表現をすれば財布の厚さです。今では財布は持たないので口座の残高なのでしょう。この現実がサイコロの眼のように転がります。豊かな時もあれば貧しい時もあるように根底から価値観は180度変わります。

もう一点加えるならば金銭的な豊かさだけでなく年齢です。多くの人は加齢により、あるいは将来の不安により、筋書きが見えるものに価値は見いだせなくなるのです。

私の仕事は授業も含め接客現場にあります。ですから「付加価値」や「価値創造」という言葉を大切にしています。話を鰻丼に戻すと安価な設定の店舗よりも高価な設定の店舗で心地よく食卓を囲み、滞在し、送り出して欲しいというのが接客担当者にお願いすることであり自らも求める普通のサービスです。

しかし今ではリーズナブルな料金の店舗がマニュアルを巧みに扱い融通は利かないまでも一定のサービスラインを確保しています。それとは対称的に効果的な商品を持っているからと言って余りにも「心のない」接客をする店舗があると顧客を本当に馬鹿にしていると受け止めてしまいます。ましてや外国人客しかいない客席では私自身が恥ずかしいという思いが込み上げてきます。少し付け加えると食卓での接客サービスとは得意の語学を使いスムーズな注文対応だけでは十分ではないという事です。

これなら「ロボットの方が良いか」と思うこともあります。

そうなのです。すでにリーズナブルなお店ではロボットでも大丈夫な環境は作られているように思います。偶然ではなくアルバイトさん頼みの現場ではすでに将来を見越していたのではないでしょうか。

しかし、それには利用者がいつの間にか納得し、あるいは諦めるという時間が必要だったのです。今では多くの顧客が接客人材に期待することもなくなってきました。そして世間話は若年層のゲストにはしていけなくなる時代を迎えようとしています。間もなく接客人材の必要性よりもロボットの運動能力に注目されるかも知れないと思います。

現実的に周りを見渡すとロボットホテルだけでなく堂々と形を変えたロボット達が飲食現場で働いていますよ。

****************************************************************


no2 「自らの行動」 2018年1月30日

「モザイク」というタイトルで活字を並べると自分はまるで完璧な、あるいは常識人のように表現しています。が、よく考えると中々の田舎者のようです。大体、田舎者とは地方出身者や職種とは無縁な言葉であるべきだと私は思っています。
昔、本を作って貰っている時に編集者の方に言われたのは「変わっていますか」と尋ねると「普通です」という返答でした。それから自分は普通なのだという認識でいたのですが、その編集者は少々的外れな答えを出してくれたようなのです。(たしかに色々な人の本を作るのは苦労があるのでしょう)

それから20年が経過し外国人も含め色々な意見を聞いていると「これだけ、人の移動や暮らしが1か所に留まることが無くなってくると一国の常識はローカル・ルールとなる」と言い切っておられました。たしかにそれに関して異論はありませんがそれをどうやって「収める」あるいは「消化する」のだろうと考えたのです。

ただ、昔と今では人其々の違いを多くの人が認めています。そう「変わり者」にとって今の時代の方が良いのではないかと思っています。根拠は「多様化」している価値観や価値創造ができるからです。

組織が窮屈な人は個人で何とか生きて行こうと個性を発揮し社会の荒波に揉まれながら生きて行きます。誰かと大きな仕事がしたいと思っている人は組織に属し色々な障害を乗り越えて実行すれば良いのです。

これは本人の性格や学んできた背景、あるいは生まれや育ちによるものが大きく、俗な表現を使えば「こうなりたい」という目標が明確なら精神と肉体の贅肉を削ぎ落しながら向かっていけば良いのです。

いつも失敗ばかりの私が言うのも変ですが仕事でつまずくと必ず出会う言葉があります。その一つは「自分を変える」というものです。恐らく長年の習慣的な物の見方・考え方、行動の仕方を改善し自分を開放するということなのだと私は理解しています。これならは「できる」という自分の可能性を開放することです。

次に耳の入ってくる言葉は「ハイ・リスク、ハイ・リターン」です。これは通常の決断とは異なり大きなリスクがあってでも実行する勇気を求められており、それが大きな収益を得るキッカケになるという意味なのではないかと理解しています。ですから通常の判断を超越した決断です。

最後に一個人の個性や変わり者と呼ばれる少数派の意見や行動には大きな可能性を見つけることが出来ます。これも選択肢として悪くない決断だといつも私は思っています。

これは組織の大小に全く関係のない話ですが世の中には潤沢な「黄金の知恵」が埋もれている気がするのです。

しかし、上役の顔色だけを伺って発言している、あるいは忖度した意見にまとめてしまうと高画質の映像や画像にはなれず洗練された意見は誰もが想像出来るような雑なものに代ってしまいます。

普通ではない行動が先端を突き進み、その行動こそが洗練されていることになる可能性があります。それでは何処に・・。偶発的な雑談の中に意見としてキラリと光る知恵が隠されているのです。

しかし、そこからの苦労の方がむしろ過酷な作業になり真似のできないサービスや商品に生まれ変わるのです。

****************************************************************


no1 「モザイク」 2018年1月18日

午後4時を迎えたフードコートではしなやかな動きに笑い声とほころんだ表情で闊歩する学生が眩しく映ります。そして親御さんと子供という何となく気だるくそれでいて微笑ましい組合せが際立っていました。

広い空間には散りばめられた椅子とテーブルの中に身なりの良い男性がPCを操り何やらシコシコ仕事をしているように見えます。そして少し離れた所では同じようにモニターから目を離すことなく活字を追う老人がさりげなく視界の中に現れてきました。

学生はバーガーを手にお喋りに花を咲かしています。私の視線は何やら動きのある方をその都度向く猫の目のようです。スマホをテーブルに据え置き踊りの練習を始める若者を捉えました。時に仕事で疲れた男女が適当な距離を保ちながら開かれた空間の中に用意された椅子に腰を落ち着けます。

その時、ジャージ姿の20代の男性が水を求め紙コップに水を入れ口元に運びます。その時大きくウガイを始めたのです。それを2度3度と繰り返し何処かへ立ち去っていきます。

トイレでは身体を拭き洗いする人に出会ったのです。私はまるで何事もなく昔のお風呂屋さんにいるような不思議な気持ちになっていきます。これは説得力、迫力の問題なのでしょう。私はトイレだと思っていたのですが彼にとっては風呂屋さんだったのです。彼の想いが私の想いを上回った瞬間でした。

色々な人がこの時空を共有しています。たしかにここはフードコートのはずですが、そこには公共性あるいは食卓といった認識を超越していました。そこは時に洗面所になり時に風呂屋さんになり、椅子を並べて寝転がるとリビングと化します。

「家」という存在、「自他」の意識、いったい「公共」とは何なのだろうか・・と思うのでした。飲食空間に限らずマナーやルールは多少窮屈なものかも知れませんが、それが「外に出る」という事ではないのでしょうか。

その僅かな緊張感のある行動や最低限の礼儀が実は物事を美味しく、そして楽しくしてくれる重要な要素なのだと再認識する瞬間だったのです。

****************************************************************



****************************************************************


「修行先で同僚から貰ったメッセージだが・・・・・」

****************************************************************************



****************************************************************